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主人公の名前がタイトルになった名作映画の歴史がある。

主人公の名前がタイトルになった名作映画の歴史がある。映画『スーパーミキンコリニスタ』は、そこに新たに名を連ねる自主映画のマスターピースだ。「エキストラが主役」というこれまでなかったヒロイン像は、多くのスパミファンを生み、PFFでは2冠、門真国際映画祭では最優秀主演女優賞に輝いた。

監督である草場尚也の自主配給のもと、ポレポレ東中野での公開に向けて、私は彼と対話を重ねるうちに、この作品に力を与え続けているものたちの存在を知ることになる。東京で映画監督になることを夢見てきた草場が人生の局面に立たされる度、背中を押してくれた大人たち。彼らとの幸福な出会いもまた、映画の養分となって、目に見えない形でキャスティングされているような気がしてならない。今回は『スーパーミキンコリニスタ』公開を共にサポートしてくれている長井龍くんの協力のもと、草場監督に本作完成に至るまでの軌跡を改めて聞いた。(取材・文・構成:小原治|協力:長井龍)

 





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<Space&Cafe ポレポレ坐にて取材を受ける監督・草場>

――映画を撮ることになったきっかけは?

高校を卒業して大分の大学に進学したのですが、将来は地元長崎で教員になるつもりでした。教育実習も真面目に頑張ったし、実際に教員免許も取得しました。でも、本音の部分ではものづくりへの憧れで溢れていて。

きっかけとして、高校2年の時、フジファブリックの音楽と出会ったことが大きかった。中でも志村さんの感受性や抒情的な世界観にやられて、自分も何か作ってみたいなと思っていました。

それなのに、当時センター試験を受ける直前に、志村さんが29歳という若さで亡くなりました。言葉にできないくらいショックだったし、心残りのようなものを抱えたまま大学に入学して、今度は自分でフジファブリックやるぞ!バンドするぞ!って衝動的に夢見ましたが、僕は歌が下手だし、楽器もできないし。そこで選んだのが映画でした。映画はずっと好きだったし、例えばシナリオを書くとか、そういうことは自分に向いているような気がしていました。

――本当に自分に向いてるものって何だろう?とちゃんと考えたのもその時が初めて?

 

そうかもしれません。でも入った田舎の大学には映画サークルがなくて。だから自分で映画サークルを立ち上げました。部員は僕を入れて3人、映画を教えてくれる人もいない。そんな時、大分のシネマ5という映画館がアルバイトを募集していたので、映画を撮る勉強にもなると思って応募したけど、面接で落ちました(笑)。

でも、その時に副支配人の方が「うちは学生なら500円で映画観れるよ」と教えてくれて。それから定期的に通うようになり、そこで沢山の映画を観ました。自分が今まで見たことのないジャンルの映画も沢山観たから、自分の中の映画の世界がぐんと広がった。だから映画作りに関しては、誰かに教わったわけではなく、映画館で観た沢山の映画から自主的に学び取っていった感じ。大学の映画サークルでは遊び感覚で毎年1本映画を作りましたが、とても楽しかったです。

​<草場が大学時代に過ごした映画館、大分・シネマ5の外観>

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――大学卒業後、地元に戻らず東京に来たのはどうして?

大学3年になって進路を決める時、東京に出て映画を作りたい気持ちもあったけど、もともと教員になろうとしてこの大学に入ったし、親もその道を応援して学費も出してくれていたので、まぁそうなるだろうなと思っていました。

その時、シネマ5で『桐島、部活やめるってよ』を上映していて、副支配人の方が「学生限定で吉田大八監督を囲んでの座談会をやるから来なよ」と誘ってくれて。座談会の日はどんぴしゃでフジファブリックのライブがあって、そのチケットも買っていたけど、自分も岐路に立っていたので、映画の方を選びました。映画はめちゃくちゃ面白くて、場内も満席で。お客さんの熱気を強烈に共有したし、そこで映画館がLIVEであるということを知りました。

桐島が、とにかくウケてたんです。その後の座談会でも、学生が吉田監督に一人一つ質問できるというので、僕も質問しました。桐島で東出昌大さん演じる宏樹が、僕の目にはプロ野球選手への夢を諦めてしまったような人物に思えて、「もしも宏樹が吉田監督にそのことを相談されたらどうしますか?」と聞きました。すると吉田監督は「絶対にやめろと言う。人にやめろと言われるぐらいでやめるならそんなもんでしかない」と。

僕はその言葉で映画を「やる!」って火が付きました。親には猛反対されたけど、結局決めるのは自分自身でしかないから。

 ――他人の人生ってこんなにドラマチックなんだ。(笑)。

  吉田監督の一言が背中を押してくれて上京したんですね。

それまでは右も左も分からず手探りで映画を撮っていたので、ちゃんと学びたくて、上京して映画美学校の脚本コースに入りました。その時の先生が高橋泉さんでした。第一回目の授業で「人生で一番印象に残っていることを書け」と言われて。その時に書いたのが、「スーパーミキンコリニスタ」と名乗ってブログをしていた女性のことです。

彼女は、大学でできた親友の地元の友達で、本名はミキという名の女性です。「ミキだからミキティ、はつまらない」というのがモットーの子で(笑)。スーパーミキンコリニスタは、初めて映画や音楽のことを心から通じ合って話せる唯一の相手でした。そんな彼女との思い出が自分の中にずっと財産としてあって、そのことを初めての講義で書いたら高橋先生が面白いと言ってくれて。自分の実体験をフィクション化していくことを学びながら、映画って面白いなと改めて思いました。

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​<映画美学校脚本コース講師・高橋泉>

――でも映画の内容と全然違いますね。

今のスーパーミキンコリニスタが形になるまでには、ここから色々紆余曲折があって。映画美学校を卒業して映像制作の仕事に就きました。そこからはただただ仕事に追われる毎日で。本当は映画を撮りたくて東京に来たのに、それに力を注げない日々が苦しくて。今振り返ると、その足踏みの時間も自分にとっては大切だったなと思えるけど、当時は本当にきつくて、ストレスでいっぱいでした。テレビのバラエティ番組のADを3年間していたのですが、その現場にはエキストラという人たちもいて。彼らは朝から晩まで待ち時間も長いし、こんな環境の悪い中で何のために頑張ってるんだろうって思った時、自分の立ち位置と重なった瞬間がありました。それは、向こうも僕のことを何でA Dやっているんだろうって思うのかもしれないと。自分の現在地とすごく近いものがあると思い、そこでエキストラを主人公にした映画を撮ろうと思いました。

――映画の内容がどんどん近づいてきた(笑い)。

それからも連ドラの現場や映画の助監督を複数しながら、合間の時間に映画のシナリオを練っていて。

ある日、テレビのバラエティで現場が一緒だったエキストラの方と偶然再会したのですが、それが高山璃子さんです。彼女も所属事務所を辞めたばかりで、僕の映画に制作部として参加したいと言ってきました。でも彼女の我の強さは知っているし、その面白さを活かすためにもキャストとして出てもらいました。高山さんはめちゃくちゃ気合入れてこの映画に臨んでくれたし、彼女自身が凄くタフで、前向きで、ハードな現場も盛り上げてくれて。そうした高山さんの魅力は僕の中にもともとあったスパミ像とはむしろ真逆のものでした。

もしかしてスパミは、本当はこっちなのかもしれないって僕の方が気付かされた部分が沢山あった。

撮影現場の様子>

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――高山さんを主役にキャスティングしたことで、本来のスパミ像を彼女が新たに作り上げていってくれたということか。それはつまり草場監督なりの演出とも言えますよね。映画を撮るうえで一番心がけていることは?

ちゃんと人間の感情を拾いたいですね。どれだけその人の本音に見えるか。高山さんを主役にしようと思ったのも、彼女とスパミの現在地が重なる部分があったのでそれを活かしたかったし、演じる役と演じる人のリアルをフィクションの中で近づけたかったです。

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<高山璃子・クランクアップ時の写真>

――完成した『スーパーミキンコリニスタ』は草場監督自身の思い入れがたっぷり詰まったものだけど、それを上映することで今度は観客の映画に生まれ変わっていく。それをどう思いますか?

正直、映画を撮っている時は観客に観てもらうために作っていたわけではないので、不思議な気持ちです。

ただPFFに応募しようとは思っていました。AD時代に休みが全くとれなくて映画を観る時間がなくても、PFFアワードには無理してでも通っていました。同世代の監督が撮ったものはなるべく観ようと思っていて。

だから自分が応募した年に荒木さん(PFF代表)から入選の電話が来た時は、人生で一番うれしかった瞬間かもしれない(前泊していた長野のロケ先で電話を受けた)。それまでのことが全て報われた瞬間でした。

――PFFや門真国際映画祭で実際に上映されてどうでしたか?

ちゃんと観客に観てもらうというのが初めての経験で。結果的にPFFではエンターテインメント賞とジェムストーン賞を、門真国際映画祭では最優秀主演女優賞をいただき、役者が評価されたのは本当に嬉しかったのですが、自分で大きなスクリーンで改めて観た時に色んな課題が観えてきて、心中穏やかじゃなかったです。だから今回はよりよくした形でお客さんに観てもらいたいという気持ちがあって、劇場公開に向けて再編集をしたバージョンとなります。

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<(左)PFF・舞台挨拶の写真 (右)門真国際映画祭、授賞式後の写真>

――今回は草場監督の自主配給ですね。予告やチラシもインパクトがありました。

予告を作るために映像素材を見直した時、このカラオケシーンを冒頭に持って来ようと思いました。カメラを回して本番に入っていく瞬間、いろんな境目が分からなくなるぐらいシーンが活き活きしていると思ったんです。

あと後半に使っているジュディマリの「ドキドキ」は個人的にも思い入れのある曲で、脚本段階から心にずっと流れていました。この楽曲が持っている推進力とミキンコリニスタのドラマと通じ合っている部分があって。

今回の予告は、映画を観る前の方にだけでなく、観た後もさらに映画の魅力が際立つような予告になっていれば嬉しいです。

――ポスタービジュアルは映画のシーンにはない写真ですね。

映画を撮影していた当時は少数精鋭の現場でした。助監督もいないので、もちろんスチールカメラマンもいません。

もしこの作品が劇場公開されるとしたらスチールがあった方がいい、なんてことは誰も考える余裕がなかったので。

だから今回公開が決まって、改めてスチールを撮りました。スパミのアップのポスターですが、この映画の打ち出し方として、そういう気持ちがあります。

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――最後に一言お願いします。

去年のPFFで、実際にエキストラで頑張っている人がスパミを観て「私もスーパーになる」と言ってくれました。

スーパーの概念は人それぞれが置かれている現状によって異なると思います。

上を目指すことだけがスーパーになるということではないし、スーパーになれないと思っている人にこそ観に来てほしいです。何かしら心が揺らぐものがあればいいなと思うし、この映画が誰かにとっての一歩を踏み出すきっかけになってくれたなら、この上ない幸せです。

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